運動の指導者が、俺とお前とでどっちがいい、


と言うことは、真実の意味では、運動は人類の運命でない、と言っていることなのである。


小国村であるいは一番古い農家であるかもしれない、村上家の資産を傾けたというほどではないが、コピー係りは、家族も付き合いもなく、遊びも知らず、工員生活を続けて貯めてきた貯金があった。
フォスタープランに母の名義でその一千万円を寄贈していた。
ベトナムと中国に来年中にも学校を建てる用意である。
母も喜んだであろう。
すでに別に、フィリピンに百六十万円ぐらいの寄付金で、小学校を建ててもらっていた。
戦時中の慰安婦にされた被害者の方たちへの賠償金活動にもいくらか積んでいたことがあった。他にもあるが、今恥じらいもなく見せびらかそうと思う。
見返りを求めて送ったものではないが、もし何かの出会いがあるとしたら、ぜひとも長島町の地元民の人たちの生命財産を守るよう、密かにも応援してもらいたい。
だまされないように、生命財産を奪っている人とそうでない人を注意深く見分けてもらいたい。
亡くなった人達が土中の闇の中に気付かれないままでいるということはできない。
それでは浮かばれない。
運動は運命でない、密かに心ある人達が暖かい思いやりで助け合い出すなら、指導者の方も手応えを感じて、ある種満足するものがあると思う。
助け合いが短絡的に攻撃に移るだけのものなら、また足払いを受けかねない。
本当の相手は、運命かと思うほど大きなものなのである。敵にだまされるだけになろう。
運命との戦いは簡単で楽なものではないと思う。
子供のためなら、たとえ具合が悪くなっても自分がいるほうがいい。
生まれ変わった母親など次にまた亡くなる人か戦略妻である。
穴で亡くならない、奴隷にならないということだけでも、尊敬に値する人間の生き様といえると思う。


広く話し合えないから、解明も進まず、一人一人秘密裏に引きづられるだけの状況になっているのではないだろうか。
連帯することで断れるようになろう。
このままでは、組織員に好き放題に引っ張られる国のままで、解決の見通しもない。