いかにして運動の横暴を払えるか


1. コピー係りが地下を命綱にして守られて生きているというのは嘘である。
今すっかり、ここの地下から地下運転と共に地下係りの人たちが去ってみたとしよう。
ほぼ何事もなく、無視されるばかりの、平和な地味な私生活が静かに続くであろう。


2. 地下の活動には、最後に、どうもとは一言も言わない。ありがたくない。
屋敷内地下に、無法に無許可にべたべたと張り付いて、日本人の生活に介入し無契約なものを請求する組織員がいなくなるなら、このようなブログは一切書けなくたっていい。書かなくたっていい。当たり前のことである。


3. しかしこのコピーは石に刻んでいる。
初めての、最終幕的な真実の捜索の一歩という実があり、無駄でないと信ずる。
他に、真相解明を志す眼もなかなかない。


4. 何度もいうが、日本国中運動が溢れていても、この土地から去ってもらえるなら、私的には何も書けなくてもいい、話せなくてもいいのである。
どんなにか楽であるか。
運動に、どうも、などと言うことはない。運動のない世の中が夢である。
地下がない所と知ったら、お客さんはかえって大喜びだろう。
千客万来に違いない。


5. だまってられないで日本人にちょっかい出したがっている。
わざわざ気を起こして誘い出した例ばかりである。


6. 武士の家系の者がいると知ると、すぐ挟み技にかかって何かに引っ掛けようとする戦術が北海道を巡っていたという。この挟みというのは単に女色のからみをいうのではない。すでに地下からの電磁波も巧妙なのである。


7. 長島町民を被害者に攫う場合、多く家庭内での家族混乱分裂作戦から始まっているという。
「おとうさん、下に、私達をあやつろうとしてずっと付いている人間がいるんだよ」
「家族をばらばらにして、弱い者にして、後で一人づつ食べて、滅ぼす気でいるのだ」
そう語りかけて家族内か整ったという話がある。


8. この間の女子高校生が亡くなった事件で、葬儀の時の挨拶がニュースで報じられていた。
父親が、私達の喜びであった、本当にありがとう、楽しかった、と自分の娘に感謝の言葉を奉げていた。
実はその亡くなった女子高校生はその家庭でただ一人の生き残りで、親の振りをしている大人達と暮らしていたのだという。すっかり前の家族はいなくなってしまったことになる。
仲間割れであろうか、長島町関係者であろうか。指示は常にあるものである。


9. 偽物の家族を家に入れないで、早々と行方不明人届けを出すべきである。入っている者は、他ならぬ亡くなった家族の敵である作戦から送られて来た係員なのである。


10. 最終的に罪の身の責任追及があり得ぺきだという、人間の公正心があるのかどうか。見つからなければそれでいいという心か。純粋に信徒に過ぎない、という心の向きであるか。