音のしない屁をした者は見つけられるべきである(Richard,本間)


音のしない屁をした者が、その生臭い屁の責任を取らないで生きていくことは絶対に許されないことである。
戦争の無情も醜いことであるが、埋もれている人を可哀そうとも思わず他人の戸籍財産を奪ってぬけぬけと生きて行こうとする浅ましさも相当のものである。
日本人を殺めて生まれ換わるのだぞ、いいな、と言われて、納得の上で入ってきたのだ、と Mr. Smith が何度も言う。
奴隷にされて運動に引っ張りこまれている日本人のように弱くて強制的に連行されたのではない。
断れる強さと自由があって、自分の意志で契約して入って来たのである。
音のしない臭い屁をした者はとぼけて生きていくことはできない。
あまりに汚く卑劣である。
西洋人の空しい戯けた主犯者責任から、必ず見つからなければならない。
音のしない屁をした者に罰がなくていいだろうか。
何の大義があるというので、こんなに大きな、音のしない破廉恥な屁仕事を引き受けられるのであろうか。
西洋人スタッフも気付かないでいることがあるようだが、絶対に卑しい物盗り事件の仕立て上げである。
卑しさに卑しさをぶつけても、帳消しにならない。
共に現れて、他人にかけた迷惑の汚名を平等に被らなければいけない。
こそ泥のように自分の責任を逃れようとすることは卑劣なことである。
屁をした者は屁をした者として世間に指差されるべき「未来永劫」がなければ、ずるいことである。
逃れざるべき明日がなければならない。


ある大統領の方が、私らをどうしようっていうのですか、と聞き返したほどに地下組織が執拗に強引に、日本国土の地下活動に引っ張り込んだものであるという話を聞いたことがあった。
日本人側も事件に対して、犯人と手口の推理といった警察のする事を一つもできないでいるのでは、いつまでも経っても弱いことになる。
大体犯人に頭を下げている。事実に向かえていない。それではだまされ続けるばかりである。
また話し合いがないから、被害の経験が勉強になっていない。