岳村には 「じゅうかん」 と 「ねぽけ」 の


原因となる事件はなかったと、今日にして確認された。
「まだがぁ」時折繰り返される言葉である。
父が若くして倒れた事を聞かされた時も、姉が一言「まだがぁ」と言って、不運を嘆じていた事を思い出す。
なぜ、また、なのか分からなかった。
「まだがぁ」と言って、村上の嫁取り前の長男に近付いた地域の女性がいたようだという話がある。
混血二回という意味なのであろう。
民族差別というよりも、混血家として噂が立っていて、すでに、地域で最低の評判に落ちていたからであろう。


東京から、移民運動だめ、という突っ込みも時々あったらしい。
日本国中溢れていて、毎年出会わせられる人や取り巻きの幹部連が相当数その移民関係者である事には気付いていなかったのであろう。
戦後のことか、それとは知らずに情報的に運ばれていた、ある幹部の方の手回しであったと思われる。
絶海の孤島となっていたというが、もはや戦後の侵入グルーブに絡まれていたようで、まるで外国の国旗が翻っていたようだというのである。
力を揮って、どうしても、荒事にまでお呼びしようとしていた、長期間の努力が見えてくるようである。


村上の家は結局最初から最後まで、しがない日本国民意識の枠を越えて生きた者はなかった。
野心もなかった。
移民と言っても、混血の由来が噂されているだけで、特別に移民の代表とされる根拠は何もなかった。
侵入者捕縛の家という意味の方が、本来的で、最後まで一貫して重大である。