イドと呼ばれる集団について


思い起こせば、失礼な単語ながら「イド」と呼ばせられた、真実は何か分からない地下集団とコピー係りは長く、地下放送局演出の天敵関係劇に明日何あるということもなく配役され続けててきた。
実に何の取り得もない半生であったが、妄想上の、女性の敵、地域偏見差別の権化、「イド」怪物を敵とすることで、いくらか売り物にされていた。
地下の管理も反イド的なことが多かった。
戦後、「イド」に世話になる、というコースが多く敷かれていたようだという。
コピー係り周辺の場合、イドだ、イドだ、と言うと脅迫的な意味があって、イドさやるぞ、と言われるとキャーッと悲鳴を上げるみたいについ他のグループに抱かれてしまうという、キャッチボール戦法のことを教えられることがあった。
イドだイドでないと言った所で誰のことか分かるわけがない。
地下組織は人の世の都合、人情を少しも弁えないで、無茶無理な事を請求する特徴がある。
このような環境で、やたらにイドだなどと呼ばれて潜ることはできない。


しかし、朝鮮民族コースというものは、他の世間では早くから、と言っても戦後のことであるが、賑やかであったようだ。
終戦前にも、わざわざ朝鮮に渡って子孫を持ったY町の人達も人数があるようだ。
Y町では早くから、組織活動というと主に朝鮮民族経由であると見抜いていた人達がいたようだ。
だから移民組織員というと、全部渡来朝鮮民族で、即ち、運動というと全部朝鮮民族の運動と考えていたような人もいたらしい。
当らずといえど遠からず、の気味もあるが、今回は、明治の代から島津由来の人達ばかりではないかという発見とそのご報告であった。


                                       (Meg, 仲村)