またまたDrectoryの大見直しの報告


島津由来の人が岡山、四国とか山梨に集中しているという観測であったが、ご当地K市,Y町,S村周辺にこそ極めて飛来しておられたことが次々と定かになってきた。
このブログでも、旧来の人達か、いやいわれ人達かともめている状況を報告していた。
ご本人の人達みずからが見当が付かなくなっていたのである。
大人数であったようだ。
K市内あいうえお各「本」氏の方々が皆それらしく見えてくる。
旧来の越人なんて全部架空じゃないのか。
岳村の糸衛門家は渡来して建てた家であるが、旧家臼田家も島津由来の家になっていたようである。
市内には島津由来の一端として、古くから与論島から来た人達もいるというから、先祖が奄美大島醸造業を営んでいたということもあろう。
一族を挙げての移住でもなかったろうから、K市内周辺の渡来人の子孫達は多く鹿児島県にも親族子孫を持っているということになる。
コピー係りは工員しかまともに仕事をしたことがないが、T城下町K市の下請け会社整列の末端メッキ工場最深部カッパ現場に雇われていた。
そのようなたまたまの工場の出会いでも、係長と工場長が明らかに島津発の人と知れる。
係長は青森の横浜町出身で、大変にお世話になったものである。
渓流釣りが趣味であったが、絶対に海はだめだ、溺れかかったことがある、と話しておられた。
青森といえば、大相撲の若乃花がいる。
まず、島津発の家系とにらんでいる。
みちのくの縁で徳川家康の子孫ともなっておられたようである。
双葉山栃錦もその伝ではなかろうか。
いや、栃錦は別機縁隊のサークルにおられた方である、と教えられた。


逆にY町から九州に雄飛した人もいる。
九州出身の有名歌手は大概その雄飛人の子孫であるという。


先月Aソーラーの製品を買い屋根に取り付けてもらった。
九州の会社であった。
実はK市を城下町にしている世界のTの創始者は久留米の人で、どちらかというと江戸時代中の人であるが、京都江戸と進出して銀座で開いた店がTの原点であったという。
洗練巧緻の芸術品が再現されている。
最初の発明品が開かずの箱蓋。
ソーラー工事の人が残していった部品があった。
一ヶ月も放置していた。自分でもできよう。
それが、教わらないと決して取り付けることのできない仕掛けの製品であった。
知恵の輪のようなちょっとした巧妙な動きを必要とする。
岳村関係者の従業員がその外し方を未だクリアしていなかったようだという。
壊してしまって、その作りを眺めていれば分かってくるようなものであるが。
T創業者の最初の発明からくり箱もそっくり同じ仕掛けのものではなかったろうか。
九州では有名なことであろうし、同じ九州のソーラー社の部品設計である。
まさか雇用差別品ではあるまい。
とにかく何の縁あってか、久留米発の天下のTがご当地K市に聳えている。
前に大宰府近くの宝満城を預かっていて、すでに滅びたT氏の歴史に触れた事があった。
そのいわれからかも知れない。創業者の顔が当地のT氏に似ているようだという話もある。
顔と名と民族で選ぶ運動である。
チャップリンアインシュタイン森鴎外夏目漱石と超偉人たる者は全員、指導者Aの曽祖父に似ていることがあると書いたことがあった。
やや隣家のご主人に似てきて、宮沢賢治にも通ずる。
ご自分のお顔なのである。
上野の森に永遠に立って、都下を見下ろしている方はアン女王である。
日本国史に不世出の英雄は西郷隆盛である。
アン女王とダンスするに相応しい人は、もはや二度と現れるのことのない西郷隆盛しかいまい。
それほどぜいたくしなくとも、女王が喜びそうなダンス相手、テニス相手の、美貌背高の御子達は地球上に充満している。
なお、当地T氏の紋は違い羽根であるが、宝満城のT氏の紋は柊の葉の違い二枚で、似通ってもいる。
長楕円形であれば、ひいらぎ南天の方かもしれない。
日本には自生例がなく、中国の原産とある。
クリスマスの飾りに使われるのは、別科の西洋ひいらぎである。