日本国の王者たる森鴎外


の観潮楼門前、御者も写っている写真を雑誌で紹介された。
 質実な表情ながらいつものように威厳ある口元の横顔であったが、どうしてもあからさまに、衣服が下がって見えている。
 死ぬまでもいかなる時もダンデイな俳優でなければならぬ、といったような乃木希典グループとは全く逆である。
 登庁前に油断して写真を撮られたものとは思われない。
 明治の功労者達の一部に、「着衣」についての否応のならない条件を呑まされていた人達がいたようである。
 その意味するところは、今の指導者が要求しているものと似た性質のものであろう。 無益な遊びである。
 失礼ながら、一方は「着服位」、もう一方は「着位しない」。
 本人達のまじめな気象、人生の実績とは全く無縁な事であったが。


 ところで、見事にも百五十年の低迷、回りの者にまで軽蔑されるような村上家の者は、「タンス家」「置くだけの物」「置く者だ」と称されていたという。
 世間に出会わないように百年間も奥にいるためには、確かに何かの「重病人」であり続けなければできないことであった。
 ただコピー係りの家族についてなら、仏様のように善い人達だ、と他人にも言われて来たし、実際に仏様のように悪意、悪口のない人達であった。絵に描いたような根性喜しであった。