マリー、手紙をください。


 できればフランスから。Mari'e
 マリオス、マリオン。最終ペーパーはマリーを混ぜいれて、マリー文豪値で掲げましょう。
 アン女王のテーブルの後、あるグループが押し進めた江戸時代中の企画であったようだ。
 八卦見のつもりで村に入って武蔵と初対面したのは、1880年頃か。


 その100年後。 最終便の用意としても、忙しいばかりではほとんど薄弱で、実も無く、かろうじて何かに至るとしても無きに等しい物で終わるだけではないか。
 あぁ、大将もはや、幻として終わらせる気かな。
 映画観て一人で行くようだな。(映画館に独りで行くようだな、金もなく友達もいないで、片輪なんだよ)


 Who are you?
Thi is a pen. This is a hen.(教科書の This is a pen の由来か)
Pen? You are a pen man.
You shall always be busy with your pen.
Pen. A happy omen.


With your penmanship, how can you afford to be an able anything?


Who are curbing your writing righthand, aiways for life?
うーん、死児を抱いて、か。 ダッコちゃんか。
 習字ができなかった。
 犬のような物を腹に巻いていた。
 朝が遅い。朝寝の習慣を教わっていたのかも知れない。
 野良歩きの生活。
 石っ子ケンさんみたいに、一丁前にどうらんを買ってもらって、石の採集に自転車に乗せられて歩き回ったことがあった。病気で忙しくなる前は、父も教育熱心であった。石の採集では父にも幼い記憶があったようだ。どうらん、こんなハイカラな教育資材を買ってもらったのは、この時が最初で最後であった。後は、教科書もお古でやっとそろえるようなクラス最低の貧窮生の連続である。高校も本当は卒業したかどうか分からない。金が掛からないというだけで、音楽科を選んだが、人前で声も出せなくなる発病人間地獄。修学旅行にも加わらなかったが、以後も観光旅行というものを経験したことがない。(頭悪いな、書道やればいいのだ、書道、と同級生の人がじれたがっていたという) 半分も遅刻していたと思うが、年間17回の記録であった。中学生がランドセル背負うみたいに、どうらんを預けられて歩き回る事を教えられていたようだ。小学校入学時皆と同じ新しいランドセルでなく、革の硬い型の違うお古を押し付けられて悲しんだ思い出がある。採集どうらん少年を再現しなければならなかったようだ。書道もできなかったが、少年の家庭は聾唖者の家庭で、静か(still)であったと伝えられている。聾唖者の手は握れない? 弁当のおかずぐらい自分で作ればいいものを、母が畦で小便するほど忙しいためもあって、祖母に任せられていた。苦心の一品か、いつも味噌を油で炒めた物一切れ。それを恥ずかしがっていた。握手ができない運命を。母とも手を握り合ったことがなかったか。代議士の先生か営業の方かとあっさりと握手した記憶はある。手を伸べたりする生徒。この時、米の黒人の人が地下施設員に呼ばれていたという。いつか、手を握り席をべ・・・。 You Kant? あの高校生がか。  
 最終評価ご都合主義で、百年目の大企画には、どうしても蝙蝠状の嘲笑オブジェに使う程度の、期待値であったろう。
 アカカ(涙だじゃ)、来い、にゃっお前、日本一のクロベ先生になってるのか、とやりたかったのだ。
 

 死んだ者のゾンビを握った気で、恩を忘れた乳飲み子達の人の世を脅し回るマントヒヒという所か。
 分かるかンガ、世界中朝鮮民族関係者にするためにのみがんばってきたのだぞ。絶対に頑固に曲げられない憲法にして。お前なぞ、いねったって。
 ぬけぬけとぬけぬけとやれ、馬鹿になってドル集金するぞ、ドル高分かるか。集金、集金、ドル。朝鮮だぞ日本国、お前。世界だぞ。
こったなねずみみたいなカワウソ握ってらけど、朝鮮だぞ朝鮮だぞ、っと亡者みたいに止めれねだけでいるのだぞ。