400年前に移民してきた人達がいた

 
 アメリカ合衆国独立の175,6年前の事である。
 いつまでも移民ということはない。
 アメリカなら押すに押されぬ大先輩の米国人ということになる。
 純粋の米国人というものはない。


 城下に居住して重臣の位に就いていた人達がいて、「そこもとの者達」と大勢を弟分のように親しく呼び慣わしていたという。
 西洋人のスターの子孫との混血家系の話を書いた事があったが、隣国韓国のチェジュ島辺りの事件を想定して、明治の代の渡来作戦の一流れであろうと断定してしまったことがあった。愚かな早合点の一つであった。特にそのような人達の朝鮮半島からの搬入という作戦はなかったようである。
 そしてチェジュ島辺りからの渡来人を弟と呼ぶ、兄貴分がいて、江戸時代1840年頃の混血事件の子孫達であると軽佻無思慮にも書いていたものである。
 これも誤りであった。藩内の、1600年組みの兄弟関係の話であった。
 1840年頃の混血計画の子孫の人達は、明治の世に総勢して活躍しているものと想像される。


 岳村に移り住んでいた家の子孫の方が、自分の先祖が家老なことを話していたらしい。
 どこの藩のことであろう。
 同級生に福島藩の藩主の子孫の方がいた。朝鮮籍の人で、母親が福島家の方だったのであろう。高校一年時トップの成績、野球部のエースという優秀生であった。軟投派のようであった。
 また同級生に上記の子孫の女生徒がいた。3年間を通して成績トップであった。入学式の挨拶では藩主の子孫の方が頼まれていたが、成績では家老の子孫の方が首位ではなかったかという、ある筋の噂を聞いたことがあるような記憶がある。日本国土の互いにかけ離れた藩の藩主の子孫と家老の子孫の二人で一位二位を分けていたということになる。玄妙な巡り合わせである。