続き その時コピー係りは


前にも書いていたように、自覚もなく、一世紀も前の人の人種被差別感覚を体現していたといえようか。
 亡き魂が触りたくて手を伸べている、という執着である。
 寄れない、繋げない。共に席を並べられない。油で炒めた味噌の塊一片という、単純至極の弁当のおかずに怖じている者である。貧乏で弁当のおかずが悪い、とううことはよくあったことであろう。母も父も死ぬまで食事は単純で素朴であった。
 日本史の先生が言っていた。教科書一回読み通せば東大に入れる。どうしてもその薄い教科書一冊が読みきれない。常にB点を取るという忘恩仕掛け。東大だから、花と散る目論見ではなかったといえる。
 数学の先生が入学式にこれ見よがしに演じて見せた、一字一句も誤またないコビー式辞。後で分かるだろう。先生は、その時は暗記の準備もなく出ておられたのかもしれない。
 世の中は総じて、お互いに無自覚にもかなりそういう事である、と。
 教頭先生が組織作戦は止めろと言っていたというが、その教頭先生でさえ世界中の地下組織の背景に巻かれているのである。何もなくて学校の先生をしている者がいるだろうか。
 シューっと行ってしまったらいいだろ、ということに過ぎまい。
 どうしてうまく通せないのだ。体育でさえ運動神経伝説さえできそうに巧妙なロボット体制であることが証明されているのに。穴があったら入りたい毎日の煉獄現場か。
 何かの力を見せると、なぜか、まずいまずいと言って常に隠してしまう、埋めてしまうパターンがあった。
 後続の為、難儀難入の必修科目、出る釘は打たれない奥底の者、あるいは、全世界大統領首相陣歌手小説家陣とのバランス、「ステイ」、重しか。浮揚と深沈。
 ずっと前から、あの指導者ではミイラ運びをしていただけで、将来への何かの用意ではなかったのかもしれない。スタート、埋葬、スタート、埋葬、スタート、埋葬、・・・(父親で、校長先生まではやるつもりであったと言う) 「死んだ者だ」 計画ない。 手も放したことの無い者だが、とっくにやりづらぐねべが。
 しかし、かなりの疵付きであるが、まだ若い、これからも何とかなるだろう、という先生方の観測であろう。タノンダレイディオ。
 小説なんだで。変わった者出してるよ。(歌手もかなり変わり種戦線張ってるな、坂本九でさえ、俺ヨーデルだよ、と少し自己諧謔気味だったという。六助さんも出ていた頃だったか。それからなんと次々とヨーデル突進すること)
 短編推理小説の出だしを書いたことがあった。できるじゃないか。初めてでこんなに想像力が沸くとは。史上最年少高校生推理小説家が登場していたかもしれない。外国人の女性スパイが登場する話であった。
 実際結局は学問を修めない人生の行路であった。