東京タワーになりたいブログ(Arthur, 本田)


であるから、一度東京タワーで発声放送してみたいものだと東京行きを考えていたら、東京タワーは侵入団に占拠されていて高い請求がありそうだと教えられた。
 このように、他人の足許を見て、ありゃイドだインドだと取った証拠みたいに騒ぐ人がいるが、どこに誰がいるか分からない地下の実態である。自分だって誰と寝起きして電車に乗って勤め場所にいるか知れたものではない。幼稚園小学校から地下付きの世の中なのである。
 日本の警察市役所役場が管理している所ではない。30万人の増強というのだから、生活の必要も大きい。請求用にそういう人達があちこちで構えている事もあろう。
 そういう人達の活動というものは昔はなかったのであるが、今のそういう人達の活動というものには、請求、というものが、強制科目のように必ずどこかで連れ添っている。いや、請求活動であると言えば正しいほど、請求高が高い、請求性が目立つ。組織の眼目はその高々しい請求高であると見抜き断定すべきである。
 卑しいものだ、卑しいものだ、だぶだぶと飲むのだぞ、だぶだぶと飲むのだぞ。他人の事を言っているようにしてけしかけているのである。
 ある程度請求性の高い活動というものは前からあって、見えている市民に嫌われ避けられてきたものであるが、心中悔いることもなく人命財産を飲み干し続けるとは過激なものである。
 組織の大将でさえ、やるな、とか、日本人も丸々とやられること、と驚いているという情報があった。


 殺人の言い訳に、コビー係りの粗末な朝食作りの手伝いをしていると言っている。何分もない、キャベツなどを切って鍋に入れるだけの作業の手を応援したというのである。あまりに短い見劣りする独り者の私生活の部分で、殺人当てを言うものである。
 コピー係りは地下などなくても十分に一人で生きて行ける。かえって思う存分に自由に歩き回って幸せに暮らせるだろう。家族も持てるだろう。自分の迷惑で作った敵など日本国中に一人もいない。庭仕事なり読書なりにもっと打ち込んで一日を送っていたであろう。
 地下活動は本人の繁栄の為には全く迷惑ばかりである。かつて繁栄したこともない。自分だけでは筋肉のない人間だと思う人がいるとしたら大きな間違いである。
 聞かされなければ何も知らないでいることであるが、最も疎かな鍋仕事に、頼みもしないのに殺人鬼か意識不明女性で汚れた者を地下に用意する指示だという。断ることができないのだろうか。そんな穴留守にしてもいいではないか。本人が断っているのだから、無法な事を頼まれる義理はないのである。
 台所の話は何かの分と言い立てるから擦り付けられた気がするのであって、誰がどこに潜んでいるかは前に書いたように知れたものではない。


 あんど運動組織はもはや人類社会の招かれざる客として人の世に現れるべきである。公然の活動体、責任者として人の眼に映るべきである。