連絡、連絡、連絡がなければ明日がない


 大雑把な事を言えば、あんど運動に関し、日本人側に連絡がない、外国人側にばかり自主的な調べ連絡を取られている。
 いずれにしてもコピー係り相手以外のあんど運動対策を、連帯して持ったことはないのでないか。組織に沿う活動に過ぎないのであろうから、警察追及の意味では上滑りで実質ゼロの仕事である。だから子供もそのまま連れられる仕事なのである。本来向かうべき犯人を友達とし、犯人の導きを頼りとしている。
 本当の犯人発見と安全対策に立ち上がり連絡し合う日本人の努力がなければ、幕の閉めようがない。
 請求運動が日本国に入っている。極めて請求高が高い。これを見てくれ、と日本人側に見せ付けているようではないか。見つけてくれなければ盛り上げた甲斐がない。どうしようもない子供仕事に、コピー係りなぞばかりに顔を向けているようでは、また犯人に抱き込まれ摘ままれるばかりであろう。常にこういうパターンである。
 本当の仇を見つけ顔を向けられるか、公然と指摘できるかが、日本人に試されている局面であり、運動そのものの大きな山場、更には幕引きということにもなるのではなかろうか。
 とにかく後のシナリオは日本人側の真実の発見、ということであろう。それ以外に大きな事は考えられない。組織の言うままにならないことである。一歩一歩本当の事を見つけ続け、安全を確保し、連絡し合うことである。
 警察とは第一に防犯であり安全確保である。攻め急ぎ死に急ぎは、決まって子供っぽい遊びである。実際に年若い人が攫われている。人の命を転がすような獣のこころが見えないであろうか。忠臣蔵でもやると決めてから半年近くも時間をかけている。書いた物があるから読んでくれといっても読みもしない。感情的な人こそ無闇に解決に乗り出す。必ず闇討ちに遭ってしまう。本当の犯人がいるとも考えない。
 日本人あまりコケにされている。


 何度も言い訳がましいが、コピー係りは指導者にとって死んだ者である。本来なら校長先生の息子ぐらいになっていたはずだという。止めたのである。しかしイド大計画は止められない。がんこに続ける。大きな建物などを見ても、蝙蝠的に国を売る見物を用意していたようである。どんどんどんどん用意してきたのである。今更止められない。言い訳の者がいなくなっても。 いなくなった者でやっているのである。
 コピー係りの気持ち態度はは20代に運動に出会った時から真っ直ぐに何の変化もない。激しく行動し主張し続けてきたが、今そのままの気持ちでブログのコピー係りを勤めているのである。ペテンはない。読めば突き抜けられる情報がある。所々誤りはあっても上滑りは絶対にない。運動を押さえている。運動を押さえるべし、という一つの間違いない動きがある。