ゲーテはイドでない


 コピー係り辺りから、ゲーテにイドの疑いを起こしているようだが、どのように調べてもイドではない、というわざわざの連絡である。
 肖像画のように長々と丘の上の樹の下にいたのだという。そのことを 「ゲーテだば言われねもな」 と仲間内で語り合っていたということなのであろう。フェルネ、遠くのキルヘン辺りを望み見ている感じである。
 モーツァルトもビバルディも同じ事で、イド仲間ということとは別のようである。
 憶測に過ぎないことであるが、同時代の二人の作曲家シュトラウスも、お互い懸隔して触れ合う内容でないだけ、わざとした配置のように思われ、何かの同根の疑いを持たせられたことがあった。


 またドラクロワの絵の中の人物のように、宮廷の奥の方のドアから出入りする人々。活動員達。 奥の「ペテンの者だ」と自白していたという遠くからの報告。 
 それは、本尊のように中央に懸けられている鏡に写る像でもある。
 次と次と世界史に現れる偉人達は、等しく「鏡」として、宮廷に招かれていたということでもあろう。
 絵画自体、中央の穴から入る光線が結ぶ映像を写す鏡のようなものであった。