写真の読み方 名取洋之助著


 先日の写真の記事で思い出した岩波新書の本があった。金もない学もない東京時代に取り留めもなく買い置いた本である。買う本も少ない貧乏時代に極めて奇妙な寄り道であるが、写真機を手にしたこともない者がその本を読むはずもなく、今もあるだろうかと捜してみたら、奥のほうに寄せられていた為に投げられずに残っていた。
 聞くと、寂しい身なりの者を哀れんで声を掛けてくれた先輩の方がいて、読書もしないで学も成らずにいて、後に何かの縁があったら写真家にでもなったら、というご配慮による巡り合わせであったようだ。せっかくの先輩のお気持ちでもあり、失礼ながらあわただしく読み通した次第である。
 先輩自身北海道の炭鉱地区の出身者で、どちらかというとコピー係りにも近い苦学生の方のようであった。コピー係りは、ぞっとするような「金欠病」様相を恥じることも知らずにいた。
 「女性の手を握るにいいよ」などと清らかな事を言って、ある社会活動への参加を誘ってくれた事を思い出す。昨夜1938年制作の映画「ピグマリオン」を見てみたが、最後のセリフが「手と顔を洗って来ました」であった。本人の意志努力あるによってのみ歯磨き洗顔がなんとか続いているのであって、決して地下操縦環境は身だしなみ方面等に優遇的な事はない。見る映画はすべて偶然的に運動の捜査対象となり、何かしら捜査の実があり、最初からそのつもりで見続けている。
 この本との35年前の出会いと35年後の再会は、すべて、更に組織の奥からの誘導があってのものと想像される。写真の見直しというものが必ずあるよ、と。見直されなければいけない写真が残っているよ、と。


 There remain lost worlds to be appealed.
 誰に何の正当な所有権があるというものではないが、U2というストーリーがあるらしい。孔子様の子孫をおぼっちゃま扱いする予定はあったかもしれないが、どうしても民族性の用意が刻み深い。そして宿命の最終劇民族大運動の前処理が着々と取り囲み・・・。
 「あれは話にならないや」と言っていたというのは、うまいこと隠していて、話題になっていないな、と同僚の仕事を頼もしく思って口にされた言葉なのであろう。
 こっちでは片時も放した事のない手の者を見上げ続けている。 「あれは不可能だな」
 特定の者がいないと言ったって、スタッフがいるのなんだからな。