森鴎外の憂鬱


 Resignation 森鴎外の気高い境地を表す言葉として喧伝されていた。
 近代文学の研究者でもあった高校の漢文の先生が、同人仲間に森鴎外を語るにはResignation というものを知らなければならない。何だ知らないのか、と侮られた事があったようである。悔しかったのであろう、文学仲間の妻と二人で手分けして、徹夜で文学全集のページを捲り終えたのだという。なかった。鴎外自身使っていない言葉をそんなに肝要な単語として、知らぬ事を間抜けに言うことはない。勝った、勝った。コピー係りも図書館から借りた本で、全集というのでもないがそれらしき所を捲ってみたことがあった。諦念、という漢字はなかったが、ドイツ語か英語でResignationというものを見つけた記憶がある。
 Resignation とは日本語で口に出来ないものであったのである。
 森鴎外の一生涯の不機嫌気分を伝えていると思われる写真は、日本国の未来に及ぶ西洋組織との宿縁に晴れやかなものを一つも予感できない、早くからの自覚的日本人の、言葉もない有り体を示している。
 根本的に善くない。組織本体から。
 誠実にも自分は欧外者であると名乗ったのであるのかもしれない。