武将でも大将でももっときょろきょろするものである (Bob, 郭)


 見ちゃだめ聞いちゃだめ、と頑なな反射的な態度に凝り固まっているパターンがある。単語一語で、偏見的に心が決まってしまっていて、事件と犯人そのものに向かうという地道な解明努力がない。簡単に一点的である。
 その決定が正しかろうと正しくなかろうと、組織の指導誘導によってそろえられているものであることは明らかである。組織とは、自分達の怒りの原因である事件の、実は他ならぬ主犯者なのである。
 とにかくどうしようもなく時間が経つ間にも、もうちょっときょろきょろと見回してもみてもいいではないか。調べてみることに損はない。
 見るものは一杯ある。怒りの対象であるべき犯人の一人でも推理し想像してみたことがあるだろうか。必ず身の回りにいる。難しくないことがある。また思いっきり身の上を打ち明けて見たらどうだろうか。
 一番重大な事に、組織員として情報屋として声を掛けてくる者に、真実は、一人でも自分の味方でいる者がいないのではないかということである。


 どうしたって組織は、都合のつけられる順番に次々と食べたいのであると見えてこないだろうか。貴方が穴に入った分侵入者の生活が楽になるという背景が用意されている。
 いろいろな事を言うけれども、結局重大事に入れ代わるだけは変わりのない作戦がある。 次々と。 とにかく食べねねのだ。組織を信用していては、生まれ換わられ、とぼけられてしまうだけである。


 一本道ばかりでなく、皆が本当に騙し働いている犯人を知ること、手口を知ることに役立つもう一つ別の途を考えてもいいではないか。自分はとにかく、他の大事な人が明日にも騙されたらいけないではないか。
 犯人を見つけることこそ実ある大人の仕事なのである。