昭和天皇陛下が侵略的な運動の気配に


 怒られて、国会議員団に向かい何か発言されたことがあったという。戦時難局の御前に立たされてきた経歴もあり、勇気のある行動的な天皇陛下であったと偲ばれる。
 何か指されている者の家を検分してみても、侵略して人を食ったような奢りある暮らしをしていない。むしろ珍しいくらい心構えが控えめで、近隣においても遅いほうで、のしかかるような謂れを持たされて暮らしているとは思われない。逆である。第一紛れもなく古くからある農家ではないか。
 置け。捨つ置く。まじめな日本国民、本来誰にも置くとか置けないとか言われる必要がないのであるが、一旦天皇陛下にさえ被さるような失礼があると勘違いされたことがあったからなのである。その後一切陛下は無言でおられたと想像申し上げる。司の長も賢明に誠あって、その筋の直接のコネクトを制しておられたのであろう。移民運動がけしからぬことなのであったろう。
 やせ農民に一回は向かわられたという事である。
 昭和時代の代々の総理大臣さん方もその伝で、組織との付き合いは別として、特に苦農中のような勤勉日本国民にわざわざ指を差す者もなかったと思われる。
 運動の奢りといえば、当たり前のように世の中を占拠して溢れんばかり、ここが勤倹重病人の家とはおかしなことなのである。


 猛々しい組織の強請の世の中の終焉を望むばかりである。