組織というものはなかなかコビー係りを苛めるものである


 本来育てる気がない者であるというのが大方の結論であった。蔑まれてきた。見るものではなかった。
 今もその延長の作戦が取り巻いている。コピー係り攻撃なぞ全部組織のお膳立てであると思っていい。こういう作戦は本当にコビー係りの発展を目指しているものではない。邪魔をしているだけである。
 狙いは別である。市中やテレビで盆踊りをやっているとしても、出演して踊っている人達が「スルリがあって」楽しんでいるだけなのである。コピー係りの発展には何の責任も無い大計画である。だまし利用に、ほとんど磨り潰さんばかりの作戦内容である。人並みに職員になってみたい、家庭を持ってみたい、自由に歩いてみたい。いつまでもこの程度の実態である。  
 このような家族もいない少しも偉くない孤独な者などを攻めさせて、結局何がスルスルとはかどってしまっているか、皆さん、もう少し目を開けてだまされないよう、賢くなって下さい。
 対応がなっていない、解決にちゃんと立っていない、事実に向かえていない。そういうこともあって敵知らずのままやられ続けているのである。意気投合会など女生徒釣りの悪巧みである。
 

 敵というものを表現すれば、延べ、世界の博士号300人は使った日本人埋没大戦略の指導者である。でなければできないことである。目当てがチッチャイばかりの対策しかないのでは、いつまでも糊塗的で上っ面で鬱陶しいばかりである。
 犯人は大組織なのであれば、結局大組織に向かうのが大人のちゃんとした仕事ではないのか。


 「結局きりがないのな」「むくむくむくむくと山の辺りからも増えているぞ」「休んだことがあるのか」「全部見えていない」「休み無くできるのか、なんたら簡単なんだ」