葬式をやったのだ


 撮影会のことと書いたのであるが、違う、あそこは母親が毎日他家の葬儀を行っていた家だ、と言ったのであるそうだ。
 毎朝毎晩、地下では、他の家の葬式を上げているつもりで支持していたということであろう。
 「先祖一杯あるな」「毎日精進料理ばかり食べてるのか」 一部にそのような噂が流れていたのであろう。好意的なのである。お寺のように一日も花を欠かさなかった。どこの農家も同じであろうが、春から秋晩くまで途絶えることがないような計画で、地味な供花用の花が栽培されていた。冬は一度買うと毎日の水換えで長く持つ。思えば、わざわざ遠野のお寺にめぐり会って、月に一度、呆けて歩けなくなるまで几帳面に、一日掛かりで、先祖供養にと、華と酒と貧しい重箱煮付け料理等を揃え供えてお参りを続けたものであった。
 「遍照院の和尚さんに手相を見て言われだった。人を供養する為に生まれてきた手相だ。寺に嫁入りすればよがったのだ」