上の家は老、組頭を勤めていた

 
 倉に入った泥棒を追いかけて縄にしたという古文書記録があった。維新後に田畑を折半しなければならない事情があったらしい。後夫(ごけ)が続いた家であった。嫁は皆長命である。
 母の実家も村役人をやっていた旧家であったが、越訴行為の責任者として藩に罰せられてからは、いわば隠退的に地域に貢献してきた家柄であった。