人間を次々と食べたがっていますので気を付けて下さい

                             



明日に何があるということもなく。


 上の家の者のやる事は百五十年前に決まっていて、実行中である。
 率直さがなければ、わざわざ用意され目指されてきた重大仕事も実がない、役に立たないものとなってしまう。
 またまた曲芸玉乗りをやっていたって、その意義を有し得ない。
 腰を捻るようなゴム高飛びができない。いつも曲のない、馬鹿な真っ直ぐ巾跳びしかできない。この巾跳び精神以外に出番がない、という見積もりがあったのかもしれない。
 上の家の者に何はなくても、直するスビリットが不可欠であった。


 東洋人の経歴というものは皆、利用する為に作ったもの用意したものであって、逆に世界組織がその経歴に振り回されるなどということはない。 ペテンである。


 この本気な組織反省の仕事を「外孫」にして、組織地下活動は精神地面において一繋がりのものである。スタートは丸っきり独立したものでも、同じ組織の内部を通って来るしかない。
 自分が偉くなる活動分野は汚れないと思って分け隔てし、他人をからかう人がいるが、みんな同じ「神」の仕事なのである。自分に付いているのも同じ「ダニ」でなくて何であろうか。偉くした分、他所で悪魔を働いているのである。後行生迷惑というものも、勝手な裁きであるが、スター登場の為に全く見ず知らずの者が痛い目に会わされることがある。
 こんな地下社会、偉くなるという事はタダなことではないのである。ダニ仕事と無縁なことではないのである。むしろダニ仕事の根拠となっている事なのである。
 偉くなればいいってもんではない、と反省するのが、仏前における、法の正義の前における人間の誠実の一つであると考える。