明治の世に半島から地下上陸した人は (R &郭)

 


いなかったのであろうか。
 そうだとすれば大変に誤解していた。大量人数があるように書きもし口にもしていた。急いで訂正申し上げお詫び申し上げる次第である。
 一人とて確認できたことがないから、あるいは一人もいなかったのかもしれない。満州発洛陽発という例を聞かされているが、本当なら何時の頃の事であろうか。


 「鬼入り」者と呼ばれることで、浦上邪宗門徒「旅」との関わりを推理することは誤りであったか。城下加治屋町辺りで、城門番の者と出くわす、というような設定があり得るか。
 やはりフォーク界の元祖マイク真木さんと上の家の「ハツエ」祖母さんとは似てる所があった。合わせていたのであろう。日本国のフォークソングの実作者、シンガーソングライター即興公演を果たしてきた人という情報であった。間なしに一晩中何かを歌い語り続けたのだという。誤訳されてalways terrirble などと紹介される。出放題、のべつ、などと下品になってきて、放屁癖みたいなものを思い浮かべた人もいたようだ。アンカーマンは驚異の記憶力を示す者でなければならなかった。
 上の家にいた人達は共に、穏やかで迫ることのない、ずるい事のできない静かな鷹揚型で揃っていた。人生が孤立無援的に重ねられていて、悲境地にも一人「泣かないでいる」 気を保っているという印象があった。無念な事故にでも遇ったのだろう。
 同じ集落内のもう一軒の旧家をも赤ちゃん疑惑で捕らえる人がいる。陶工郷士団からの流れようにも思われるが、九州最南端佐多村辺りを郷土とする事も可能か。失礼ながら、高橋喜平さん、高橋克彦さん、田辺聖子さん方の特徴ある風貌を思い浮かべる。大柄で、関取にも多い。南海太平洋型で、遠くフィリピン、ハワイの原住民の人達と共に一つの環の中に在る縄文人的プロトタイプを想定できようか。
 その家の、コータローの娘さんに当る人が自分の兄を「し」付いた者だと呼んでいた意味が今分かった。「雨夜の桜しつかなり」 「恋人に振られたの」と「天下の整備マン」ペアを用意したということであったようだ。


 村田という苗字の人と出会ったことがあった。高校時代の経験から、在日の人のように思い込んでいた。どこか日本人離れをした気配を感じさせる落ち着いた若者であった。江戸時代上陸者一般の流れある人であったのであろう。他に、木村、林、小林などという苗字の人と会うと何となく在日の人と思い込んでいるような一時期があった。鹿児島にも少なくない苗字である。加冶屋という苗字は鹿児島では、恐らく由緒のある大苗字である。吉田、吉行、吉川、青木等という著名な九州発の苗字を思い出すが、鹿児島県土には、中村、池田、井上、増田、田中、浜田、中島、山田、松田、和田、西田、小川、萩原、野村、神田、野口、町田、野田、武田、松村等々、錚々たる懐かしい苗字の源集団が並んでいる。(ウェブ「苗字館」に拠る。ご自分で電話帳で調べてみられてもいい。)


 湯田町から展開した人達を、先祖において何か深い過ちの経歴を秘めている人達のように思い込んでいる事があるようだ。それは完全に誹謗である。身分の上下もない潔白な農民達に過ぎない。思い切って世界中に雄飛したのである。
 後に酔っ払った人が出たり、地域で地下活動と闘った人が出たりしたことはあった。


 この情報活動は長く、二年以上も毎日、特に上記加冶屋系列の人達に、無償でお世話になって出来上がってきたものである。大変に貢献大きく頭が下がるばかりである。ぜひとも多くのご友人にご紹介下さるようお願い申し上げたい。