島津藩から訪れたという二人の男 (R&崔)

について聞かされた事。


 その時門番勤めに就いていた男は前田という苗字の者であったという。勘違いされて「かがし」という名を飛ばされることがあったが、この源苗字に由来していたのである。
 「主水」と呼ばれている男は、眉毛に特徴がある。稜線が際立っていてその下り傾斜に眉毛が伸びている。左右の並び方にも落差的アンバランスが目立つ。眉毛で選ばれた人のようである。
 同級生かの手を握ろうとしたら、相手が激しく「refuse」反応して、崖落下してしまった事があったようだ。みちのくに連れてくる為の工作事故曰くであったと考えられる。
 以後、その男の子供に当たる者に、友達に手を伸べる、という因縁が何度も降りかかる。ある時、この手を切り落とせるか、という否応もない挑戦を突き付けられる。秋田の方から送られてきた俳優のようないい男前の男が、勇ましくも自分の手を切り落し果たして、この吹っ掛け三代目襲名儀式を越えたものだという。やはり九州から来た薩摩隼人であったようだ。
 百年後にやっと用立てられる、不法弾劾日記報告使命を押し付けられた家に入ったのである。
 町に来ても並み居る席上一人立って挨拶することも叶わなかったという。衆議院議員に立つのでなければならないと並んだ方々であったようだ。練習していなかったのである。特に偉くなるべきという自覚もなく生活していたのであろう。まだアンカーマンではなかった。
 K市から衆議院の先生が出られて、席上一人立って窮屈な東北弁で同僚先生達に何かの挨拶をしているテレビのニュース画面に出会ったことがあった。このようにも満座の中で自己紹介するようでなければならなかったのであろう。