奇想的回想録作成用のメモ


 これは大変なことである。いろいろと「鹿の角の国」の通り行くべき道筋コースを国士達は案じ、鹿角国各地に散ずる。
 精一杯に眉毛を張らせて、世界二大隣国の現状最高の名誉ある英雄国王のラインを引っ張ってこよう。
 林則徐とリンカーン。チルドレン作りは忙しかったようである。似たような人が大勢いる。大林、小林。


 組織の悪魔に、二人が被害者になるとという執拗な指導の繰り返しがある。東洋語独特の言い回しを誤訳してから始まっているのである。二人づつ亡くならなくてもいい。本当は、二人いられない、と仰ったのである。
 昔に、二子が亡くなった例もあるそうである。生徒が二人見えなくなったような話も聞かされたことがある。事件の真相は何でも、聞いたまま本当かどうかは分からない。
 この頃流行っている、イネの高低発音も工作的なものであることも確かなことに見えたきた。去ね、命令語の再現を流行らしているのである。
 薬物を使って人の体の一部を食べるような者とは、人の世に併存できない。二人いられない。
 せぇー、とも仰られた。為せ。
 それがシェーウルトラマンの謂れである。アメリカのスーパーマンの下にアンタッチャブルがいる。摘み様の無い、顔からすっぽりつなぎ状の者が屈辱を身代わりしているという儀式である。


 「猛将、暴徒」を連行したという大陸渡りも少なくない事に気付かされている。アメリカでも俳優、ジャーナリスト、プレイヤー、政治家と登場しておられるようである。
 警部役で出演しておられた方もいたようであるが、「軽侮」の謂れからでなく、故地中国で警察官を勤めていた者の子孫であるからのようである。遥かな事を人生途上のいろいろな見聞で思い知らされる。
 色目人は蒙古人と並んで、元時代には忙しく支配者階級の職について多数の漢民族を治めていたものだという。安氏荘氏等ビシニティグループの人達はかえって過去に何らかの経歴を有しているのである。


 楽聖係りに中国人グループが預からされていたという話がある。西東divan。親和力。ベルリン東西分裂の壁。その後の統一。「皇帝」以後の"Harp" そして友を持つ歓喜の歌。
 あるいは、被略奪国の民族(ポーランド人)をモチーフ取材係り、型素地作り係り、へら仕上げ係りに採用していたというような情報もあった。芸術は、モチーフと素地如何ではなく、一にへらフィニィッシングの功績である、というお言葉があった。
 

 1819/24 英国シンガポールを領有。
 1818 ツルゲーネフマルクス、ブルクハルト、エミリー・ブロンテ、メアリー・リンカーン生まれる。
 ・・・ 1821 ボードレール、ドストイェフスキー、フロベール生まれる。