ナホトカ、ホンコンの他に発進基地が

  (その時上の家の者は小柄な者ではなかったろうが、伏線を張られていて若造であったという。真面目な武士が二人、引っ掛けられてみちのくに上って来た時の印象に、監獄に入るのか、という発言があったようである。上の家がなぜその時江戸時代の木小屋監獄風にまで零落していたかは想像が付く。1700年以来地下組織は煙と唸りを上げて運動の計画の遂行に邁進して来たのである。ことば、きかい、くすり、若者、・・・金はたっぷりあった。訪れた武士二人もちょうど「監獄ロック」のロック歌手にそっくりな若者達であったろう。)




チェジュ島にもあったように、再び思われてきた。島由来と考えるべき特徴ある人々の顔貌を思い出す。蒙古的にユニークに眉間の広い遺伝子もこの島から由来したと考えると自然である。
 以上の基地の年代、前後は定かでない。
 モンゴル人は断トツに顔が広く、鼻も大きい。たとえば金大中先生なども南下人の影響を受けた韓国人の例ではないかと推理される。