上の家の三姉妹の行く先。 (J&K&P)

  特徴のある石を並べている。兜石。橋石。磐石。自分の事でもないようだ。




隣の黒沢尻、次は? 町? では南に下って水沢。 今度は県外に。 うーん、では秋田の下、山形。
 上の家に女性三人パターンの写真がよく残っているが、その時の三姉妹の事だったのである。
 サンカショウ、という言葉もあるが、上記三箇所ということと、慎重に参加賞ぐらいでこの災いをかわしてしまいたいという分別からの発言によるものでもあったと思われる。
 「出る杭は打たれる」 「二兎を追わず」 となかなか落ち着いた格言を以って防戦したようである。 私など頭食いでなく胃で、大食漢の待遇で勘弁してください。 むしゃむしゃ食いして吐くまでしてお帰りを願ったようである。 この間の女性タレントギャル曽根さんの大食いシーンはここの場面のパロディなのであろう。 ショーバイという外国人スタッフの評言がある。 show and goodbye か。 なかなかな。 頭でなく胃だから馬鹿だというのか。 お蔭さまで大学に入るなど何ともない事ではないのである。 軽はずみ非行に近い。 場所の選択も身の上を案じて、わざと近い所、目立たぬ所を選んでいる。 あまり偉くならなくていいのである。 最高が欲しい?  うーん、じゃ最高一人。
 しかし先祖代々の本田を組織に売り払わなければならなかった。 その分隣町の明治維新後の発展の中枢を担うことになったのであるが。 福田首相の家の関係者の方が上の家への挨拶にその隣町に住まわれていたことがあったようで、町一番の料亭も福田大庄屋からの出資で建てられたものなのかも知れない。 写真でその建物をここのブログで紹介している。
 I 市長さんの顎の張りのある所に上の家の特徴が出ている。
 しかし上の家の相続者は常に出遅れていた。 この料亭に招待された者は腰が抜けてしまって町衆が並み居る中一人自己紹介に立ち上がることが出来なかったという。 最後は西郷隆盛の類型でという、その一方の不倫児であったはずであるが。 聞く所によるとその頃にも心臓を刺激してびくつかせる技術があったという。 ドナルド・キーン。 怒鳴るとキーンと音を立ててなく子供に育っていたようである。 大人になってからも慟哭したそうである。 動く(人だ)、という表現があるが、どうこくという言葉のミスプリントであると推理される。


 この間の上の家の相続者の父親は、相当に悪く言われることがあるが、個人自発のミスは汚職しただけである。 入学する子供のカバンを新調できない。 とうとう自分の会社の品物を質屋に入れてしまい、買い戻すことが出来なかった。 後の、陛下御無礼下の米人身代わり、汚食、映画出演、白日青天下の大八車、すべて組織への身投げ勤めであったといえよう。
 母の先祖については前回触れている。 鹿児島でも多量に収拾していたという噂があるようだが、みちのくでのパロディ茶番劇と連動した、そっくり同じ仕掛けの見世物であったと考えていい。 家の中にわざわざ収拾するような趣味と余裕があっただろうか。 仮に事実があったとしたら用心してさっさと投棄しているはずである。
 苦労の末に施設に収容する予定であったようだ。 襤褸の身の上から金襴緞子の衣装を身に付けさせられ、何人かの子供の母親となったと思われる。 父親は城下の藩士であったかと思われる。
 襤褸放置中に、時の薩摩出身の総理大臣が足を運び、何だその姿は、向こうは武でそろえているのだぞ、うむ、じゃ平武してやる、子供を真っ直ぐにやってくれ、と厳しく命じたものと推理される。
 どうしたのだ、と聞かれて、(総理大臣様に)平武されたのです。直ぐに子供をやれと命じられました、断り切れません、というような返答があったらしい。