上の家の母の一ルーツについて(日本解読の一例として) (K&P)

 




 鹿児島での行いは何であったか。普通に考えるべきである。
 瓦版の発行人兼販売人と推定される。 現場は湯屋である。 この場合極自然な公共の場所である。 時には単純に瓦版禁令が出た為に、逮捕されてしまう場合があったようだ。 ニュースは基本的によろしくないという時代である。 まして階級に触れたニュースや政に触れたニュースは漏れることなく罰せられたようである。
 浮世絵というものはプロがグループとなって出来上がる高級なものである。 江戸では世界的最高芸術品として永劫に名高いものを残している。 湯屋で立ち売りするようなものではなかった。
 瓦版は素朴な手作りのものが多く、一人商売的であったようだ。 何時の世でも似たようなことが多い。 謄写版やブログニュース。


 母自身は間違いなく実家の善右衛門の孫である。 善右衛門はたとえば宍戸錠さんに似ていたらしい。 ナポレオンソロにも似ているような肖像画がある。 母の父はダーティハリーに似ている。 武士の子供であったと思い返させられる。 落ち着いた物腰、口ぶりと静かな威厳があった。 同輩に裁判官や弁護士にでもなっている人がいるに違いない。 母とは実縁、叔父姪の関係にあったのかもしれない。


 世界中の皆さん、大勢の友達のルーツは如何にと問うなら、一つに瓦版屋ともう一つにクリントイーストウッドにも似た騒々しくない、苦みばしった侍であったと答えてください。
 大辛苦して挙句に金襴緞子したということは、打ち敷き表具結縁事業成就のための前芝居があったという事になるのであろう。 緞子表具に相応しい方が頼まれたものと想像する。
 (後に鹿児島渡来一団が東中野近隣、雫石縁辺地域で、藩主様のご愛顧を被り、多くの貴種子孫を抱え発展活躍しているようだという情報があった。 苗字そのままの名有る士族の関係者の方が地域に点々と住まわれていたということと同じ用意にある事なのであろう。 現在も、新日本人組みが仙台辺りで作戦的に、殿様辺りの御種子孫を抱えようとラブ攻撃中であるということを聞かされている。)