俺が何をしたというのだ、何を許しているというのだ、と言ったところで、嘘でもなく汚い事でもない。

 法律の前でもどのような神様の前でも、何を許したというのか、と隠し事一つも無く伺い立てることができる。
 本当の犯人を届けずしてどこの神様が善しとしよう。
 無法勝手に組織が潜ってしょうがないばかりである。