詩仙堂の凸型設計は、光線放射地下室構造を模したものではないか。

 観月楼は、そのまま屋上屋と呼ばれる放射室になるのであろう。 その丸窓のような穴から、ちょうどその障子紙(明り取り)のようなフィルムコマを透かして、光を発していたのであろう。 
 柴を焚いていたといわれる。 松の小枝など多く使われていたのであろうか。 松焚き精神。 全き精神。 この光が、人間個人の頭を、人間歴史の全精神事業を支配してしまうのだからな。