漢太祖、後漢光武帝の肖像画に似た丸額金壷眼の日本人がいる。

 後漢滅亡原因の霊帝の子孫を語る一族が大和王朝において活躍し、漢を綾や文という文字に書き換えて各地に入植した跡は今でも地名などに残されている。 九州に大宰府官人として入った一族の子孫はそれぞれに地域の名を名乗っていたようである。 大蔵というのは、今は廃止された大蔵大臣の名に価する勤めを担っていた事に縁るものであろう。
 丸顔金壷眼の典型的先輩として、幕末に活躍した川路聖あきらが上げられよう。 ウィキペディアに写真が載っている。 プチャーチンが、日本人としては珍しいウィットのある人として称えているという。 近隣出身の松田聖子さんのお顔なども浮かぶのであるが、無縁ではないのかもしれない。 もしかして正田美智子様もどこかでその範囲内におられる方ではないかという推測もある。