江戸時代に有名な南部藩新渡戸氏の領地

とされるほどの、藩一番の米所にある当住所地陣場屋敷は古い地名であるが、農村としても江戸時代以前の住居があったようである。
 湧き水水田地であるから、四五軒規模の村落で推移してきたものと想像される。 江戸時代中の様子は市の図書館で、住民名取れ高等の調べを付けることができる。
 遥かに下って、昭和の30年代には、恐らく陣場屋敷の地名の由来である屋敷の跡地と思われる所に一軒、その江戸時代からの子孫の農家と、集落外れの方に定職もなく野良暮らしをしていた関係者の住いがあるだけになっていた。 目ざましい繁栄の根拠地でもある集落内において、軒数無く、一際くすんで見える境涯に低落していたような印象である。
 現在、その本家は移転して市内で食堂を経営しておられた。 残された夫婦の住いはこの間火災に遭い、その後については定かでない。 本家の娘さんが屋敷地の一角にアパートのような家を建てて暮らしておられた。
 過去百年間もの長年月の、地下活動の実体が見えていないのである。 無駄なことは一つもなかったのである。