終幕に用意されたものは最初 Prudence(分別)

のようなものであったと言えよう。
 その御良識にお叱りを受けよう、という仕掛けのようであった。 ところが思いの他お父さんは慎重な方であった。 出る杭は打たれる。 終い湯とは恐ろしい。 お江戸、仙台表などとんでもない。 隣町と山の方で。 
 アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンと縁があるという情報があり、確かに血の繋がりは争えないものなのか、ジョージ・ワシントン氏もずいぶんと悲観的な人柄の偉人であったと言われている。 常に負けそうな予感で苦しんできた人生であったらしい。
 大組織掘り起こし仕事にはもったいなくなってきたのであろう、苦心して、今度は鹿児島トリオのファイター精神に頼む事にしたのであろうと思われる。 紳士、先生になったからといってできることではなかった。
 明治の代から昭和の時代まで世の中は、変わることなくその用意を一つの機縁として捗られてきたようである。 
 鹿児島トリオには、もちろん地元のゆかりが濃厚に絡んでいるはずであった。