盛岡八幡事件以後の娘の運命−背景に二条城中慶喜公御一統の後援があった

 一転して娘は、安倍館一の倉邸に入り、金襴緞子を纏って殿様を待たされることになったという。
 殿様の方でも喜ばしいことと思ったのではないかもしれないが、二条城御一統以後、十手団を配置したりと、いくつか対応させられてきたのであれば、役に立つならというご配慮であったと想像される。 
 旧家と言っても、農民では相手しづらい事であったに違いない。
 ところが昨日の記述のように、また送る、あのボケが、と呆れられる中をその娘自体が上の家に近付こうとするのである。
 一の倉邸金襴緞子の様子はまことにNHK久保アナウンサーが演じておられる。 顔も似ておられるのであろうか。
 子孫の方々はこの間、沢山にビデオで紹介確認させていただいた。