パンダから読み解かれる古代東洋史のいくつか

 いきなりは信じがたい事が多い地下組織背景の物語ではあろうが、だまされたと思ってお読みいただきたい。
 まずパンダは密かにメンデルの法則で熊と猫と掛け合わせて製造した動物である。 猫ではなく、狸なのかもしれない。 その長年月の人知れない努力。 近似の種類の動物が皆無であるところからも、いかにパンダが長年月の間に創作的に製造された生き物であるかが知れよう。
 信じがたくも日本は古代にこそ隣国中国の思惑に絡められ、特に言葉遣いにおいて決められている事が多いようである。
 お目出度い国日本、しかし有り難い国日本。 Impossible と言ったのであろう。 強く通されて日本万古不易の挨拶言葉となっている。
 日本の何のお目が出るのか。 目が出る、と言えば、幸運が回ってくる、芽が出る、と言えば、幸運が巡って来た、という意味でよく使われる。
 ずばり言えば、目とは漢王朝の皇帝達の眼の特徴から言い出された歴史の予言言葉である。
 肖像画はあまり多く残されていないが、まぶた回りに輪があってその中に小さめのまなこがある。 金壷眼とはこのような眼の事を言うのであろう。 その皇帝様の御眼が出たいのか、というような事なのか。 だから飛び出た眼という特徴を指すのではないようである。 
 蛇の目の唐傘とはこの縁起を担いでいたということなのかもしれない。
 漢王朝は潰れてさん国となる。 その後に日本の建国が始まるのである。 赤壁、惜別。 
 自称皇帝の子孫達の活躍は、歴史に少なからぬものと想像とされる。 歴史の偉人達を見直して疑ってみたらどうであろうか。 徳川家康は、松尾芭蕉は、と。 特に天皇家の外祖父として賀に招かれていたという坂上田村麻呂の子孫の広がりは、日本の武門において行方知れぬほどのものがあると考えられる。 
 とにかく、みちのくにも平民百姓漫才師高岡万太郎のような金壷眼の住人がいた事は確かな事であった。
 何回か記述してきた、あぜ道まっしぐら、しょうけいし続けてきた、上の家の分家の若者の顔は、テレビに出た宮本武蔵新之助に似た顔形である事が残されているようである。
 なかなか特徴と言うものは末の世にも伝わっているものである。 歌手で言えば、松田聖子さん辺りか。 パンダそっくりに見えてくるではないか。
 東方日本国に出なくとも、四川省の山中で延々と転がっていれば善い、という祓いの意味がパンダにあったのかどうか。