宮に触ることを地下組織は請求する。

 明治維新政府の樹立前には奇兵隊に。
 S 村でもそっくりに宮周囲の一族に、地域の誉れの跡の焼き落としが請求されたものと想像する。
 奇兵隊への請求は取り返しの付かないほど重大なものであった。 比すれば S 村の場合は遥かに軽微なものと言えよう。 このようにして地元縁の発展が保障されるという、深い決意に縁るものと思われる。 すでに外来縁ばかりがエリートに並んできた村の歴史が見えている。
 村一番の侍格に上っていた隣町の家の者が、この新来の地下参加者の気構えを見抜いていて、やはり同じく村の大庄屋に上っていた同級生仲間に、新参加者地盤に決して寄らぬよう忠告を発していたという。
 地下を知らない宮関係の一族達に、この宮触りをザマなだけの仕様であると、余所にされて、軽蔑されていたそうであるが、後にその精神を実証する如く、また現れるとも思えない村民福祉の先人的実績を上げる村長さんが登場する。
 しかし外来縁対地元縁で見ると、この一族達の対応及び発展はまだ中学生ぐらいのものであったという。 たとえば、地下活動の作戦の常として、逆に堕落行為に馴染まされたりすることがある。 その村長さんも二期目途中で早々と病死しているようである。 世の中はいよいよますます外来縁が雄飛進学して、全国的に占拠的にまで出世していくばかりの情勢であった。
 結局地元においては、過激な作戦を頼まれては、一枚上手の外来勢に見透かされ噂され、評判を落とす事になる。 (組織の秘密の一つに、大宮にネシ発の人を置くという決め事があるようである。 地盤御寺の朝倉氏子孫の先代とは、自然にも極めて親密な師弟関係にあったと想像される。)  
 なお二条城慶喜公御一統というものでは、このような宮触り計画は関知ない事であったろうと想像する。 森鴎外福沢諭吉がその計画を一部目撃して、あれは善からぬ、と述べていたと伝えられている。