犯人に気が付くことから始まるのでなければ、何一つ前に進んだことにはならない。 一つたりとも確かな明日がない。

 正しかるべき応報と晴らし、葬儀、また今後の防犯においても。
 どうしても国民側に、その頭に犯人がいない。
 感じで裁判するなら、組織は犯人こそをどこまでも感じ良い先生に作ってきたし、どこまでも男共は感じのいい女性に溺れてきたのである。