花巻―西和賀―盛岡三角事件の実態を推理する。

 花巻エアポートと喩えられるほどにお客様を整列してきた現場のようである。
 今は、どこ、とすぐ指差せるように印されている。
 35年前には始まっていたようである。
 穴は昔から海外的な営業である。 この場合もやはりナホトカ発と考えるべきであろう。
 ただ、ここで思い合わされることは、「北」東北海岸路の存在の指摘である。 逆に組織侵入路とばかり考えていたのであるが、実はナホトカ行きの連絡路が示されていたのである。
 北方には「北」の人を、ということであったようだ。 冷麺ばかりが目玉の街になっているではないか。(冷麺発展の解明)
 被害者特定は難しい。 西和賀では、盛岡公職員の人が誘い込まれていたという。 狭い地域の地元の人が狙われる作戦ではなかったようである。
 戦後の事で、前記のトナカイ食糧供給労働とは異なる。
 花巻でも地元の人の犠牲者はいなかったのかもしれない。 全部盛岡公職員であったのか。 
 花巻ではれっきとした武士家系の人達が頼まれていたようであるが、本人は相手を何と考えていたのか。
 北上の有名な環七設備が完成したのは、2000年以前であるが、常に被害者が、ある種イドだ、イドだという教唆と共に事件が推し進められていた時期があった。 この場合も実際には海外侵入者軍隊を整列させられていただけなのか。
 アラン・ドロン氏が現地で以上の実態を観察させられて発した言葉というのが、あの「朝っぱらからガンガン撃ちまくります。 危険な玩具で遊んでいるみたいです。」 であるらしい。(アラン・ドロン氏戦争実見報告)
 氏の解釈では、このみちのく戦争軍陣で、あの淦が浮く算段であったようで、汚くて認められない事であった。