戦後「北」ばかりでなく「南」もあった。 「チドド」 地図的展開が求められた。

 どうしてチェジュド国鉄路線を敷く必要が生じたのかは定かでない。 国土運動の準備であったのか。
 実縁関係者でもなかったろうが、国鉄金田投手の独歩高的活躍が鮮やかに思い出される。 戦後日本の目覚しいフィーチャリングであった。
 どちらかというと北海道に集結しているようだという情報がある。 「北海道独立国」 という言葉があったが、実際はどうなのか。
 かえって対ナホトカ侵入沿岸防衛に力を振るっている人がいるという話を聞いたことがある。
 昔も今も、国内旅行家はたくさんいるであろうが、悪戦苦闘中ばかりの上の家の者が、その標榜するが如く日本一の旅行家になることはなかった。 コピー係りの者などは特に京都奈良の修学旅行にも参加できなかった。 不思議なことに、ポツンと京二条城と鎌倉三浦半島だけは観光目的で訪れている。 (後者は三島氏の後援あってあり得た事だったという。)