古代の中国人は、顔の特徴から民族を命名していたか。 そして歴史制作の真実。

 当て推量でしかないが、胡はその胡瓜のような鼻の特徴からか。
 初めに、東胡と、匈奴とは別に名付けられた民族が出てくる。
 後に鮮卑族と名付けられ、後漢三国時代中華に意志的に移住作戦を取って、遂に消滅してしまった民族ではないかという推定があった。
 そして、隋の皇帝も、李白杜甫鮮卑族の子孫に当る、というウィキペディアの記事があった。
 ここから推理が始まるのであるが、以後の東洋史設計の実体的主役として選ばれ、各方面に展開されたのがこの民族の流れであったと考えてみたい。
 上述のように、皇帝文人偉人としても中華の歴史を占めているのであるが、遠くチベット西蔵儀式的移住を強制されたのも、やはり鼻が胡瓜のような東胡鮮卑族であったと考えると、いろいろな符丁が合うのである。
 また、この民族のもう一つの重大な進路が、チベットと正反対の東方にあり、グループは日本神話の神々として高天原から日本国土に下っていた。
 <結論、チベット仕置きと日本の天孫降臨は、同一民族を使って同時に行われた大歴史創作作業であった。>
 天皇やお側の藤原氏貴族、また源平の武家達が日本人離れして、顔が白く額が高く、鼻が大きく長いことの遺伝子的理由が、これで納得される。 
 飛び離れて鼻の長い色白の大きな顔の人を眼にすることがあるが、昨日今日の混血でなければ、古代に胡族と繋がった日本の神々の子孫であったからなのである。
 支配者として絶えることなく大発展した後であるので、日本国土においてその子孫の広がりには大なるものがあると思われる。
 ついでに顔渾名的命名を挙げておこう。 完顔。 満州族の幅広の顔形からか。 突厥。 ケルト人等にも通ずる突き出た鼻の形をも表しているか。 また、描族。 その字の通りの顔形が見える。