この間の上の家の父母のルーツは知れたものであった。 (鹿児島人展開事由理解の参考に。)
組織に連れられた運命があっただけであった。
父のルーツは、家康公の時以来の島津藩抱え郷士身分の者であった。
明治維新期の藩の処分によって、壮士出立を命じられたグループに属すると思われる。
従って壮士出立は江戸時代の事と推理される。
自分達からけしからぬ叛乱を起こして、自主的に追放の目に遭い、組織に無謀に身を預けたものと取られ易いが、そんな軽率なものではなかったようである。
はい、はい、と藩に御奉公御礼するような気持ちで応じたのだよ、と聞かされたことがあった。
何しろ、江戸時代中の古い話なのである。 余りな事に訳が分からなくなってしまった場面もあったと思われる。
地域の人を使った出立儀式と考えれば当っているのであろう。
上の家の父の先祖は鹿児島に踏み止まったらしい。
とにかく日本国の、遜色ない郷士に変わりない。 元来、何も悪いことのない人達である。
かえって他の郷士身分の者達より働きがあって、功績大の人達である。
藩でも当時、心無くも悪いことをしたと、無茶なことをしたと、詫びるような所があったと思われる。
元郷士壮士を頼むぞ、と地域人を用意出立させた事があったのではないかと考える。
母のルーツは、公文書で見つけ出された違反宗教活動家であったと推定される。
真宗を禁じた藩であったので、似たような潜伏活動家の例は多かったと思われる。
この場合、心強情堅固にビラを撒くことのできる遺伝子が求められていたのである。