ネシの人は強かった、という発言がある。
死んだはずだよ、お富さん、生きていたとはお釈迦様でも・・・
これで一分だお富さん。
つまり、大概が、一つ間違えて曲がり道くねくね、と消えてしまったのであるが、
お富さんは、賢く通り道を測り、尋ねた。 司馬遼太郎の街道を行くみたいに、道筋を読み、長々と延々と辿った。 果てには、擦り切れた棒っ切れみたいに脚が短くなってびっこを引いていたのであろうか。 (司馬氏は、何かというならお富さん、と自ら選ばれただけの人生縁の方であったらしい。)
冒険家サバイバルのTV番組があったが、テーマは決まって如何にルートを取って人里に帰れるか、というものであったが、これも、お富さん万死一生の回生ルートを想像再現しているものなのかもしれない。
どの道を行く? 原野だな。
明治維新期の大モチーフともなっている。
どの道を行く。 英独米仏といろいろある。 中でも、独軍国主義がお好みか。 教育だけは仏を選んだようであるが、お富さんの成果であろうか。
他に、司馬氏の街道追究ばかりでなく、テニス王の球筋みたいな長々とした企画がいくつかあったと思われる。
引き続き、国の行く末を案ずる、という大命題の下、国士的 (右翼軍国主義の意味ではなく、国全体のことを念頭に置くような) 政治家を大勢養成して、国の支えともなっている。
ところで、いくら長く脚を棒にした人が一人いたとしても、たとえばシベリアを横断して、黒海沿岸にまでたどり着き、カモメのように復活したなどというのは真実でない。
ネシの呼称暗示する如く、ブリヤート人の村落に辿りつく事ができた、ということであろう。
それで、あなたは一人で生きられるのね、と称えられているのである。
女性を神様のように祭っている大宮が建っていると聞いたことがある。
大宮発、ということで神社下結縁を負わされて、スタートさせられていたようである。
根源ルーツが日本人であるなら、やはり東北の人ということになろうか。 あるいはそのまま神社下、護摩壇神社の分家であったのかもしれない。 あるいは沢内村八幡神社の社務人であったとか。 どうしてかというと、いくつか訳があるのである。
すべてはハプスブルク家が、ロシアが最後の人、と身の丈を計った上の決定に由来することであった。
確かに、その集注努力の甲斐あって、ロシア黄金の輝きを凌ぐものは人の世にまたとはないこととなっている。
(ひょっとして、湯田町加治屋屋号の人達も、その日本人ルーツは、そのまま護摩壇神社分家であったということがあろうか。 江戸時代発、九州上陸、明治北海道ナホトカなどというジクザグとしたルートもあり得ることである。)