奈良の空に聳え立ってきた沓形 (しび) の秘密が晴れてきたようである。

 高踏会、と名付けられるようなものであったらしい。
 古い話である。 漆喰、千年度京都の文藝、城郭、・・・「グッドデザイン」 の数限り無き。 やんごとなき日本の正貨を真実に愛していたようだ。

 現在のイギリス運営の地下活動では、そのような実績はない。 奈良平安室町ばかりと言い切れようか。 (王室がなくても、Schola と Specialty だけで昔は魔力が生まれていたのである。)
 上記のように、たとえば日本の文学など、ゴミの如く、ロシア文学の輝き渡る熱エネルギーとその盛り上がりに比べられたら、恥ずかしくてしようがない。
 俳句以後にも、ちょっとした独自性はあった。 浮世絵、童謡、体操演技。 工業技術 (自ずからなる実力か)。
 そして、文化大活動はすっかり消滅しているのである。
 イギリス経営の地下活動では、世界一の中味はなかったと言っていいのではなかろうか。
 
 世界一の実がないのに指差し言いがかりばかりが大きい。 小柄の身で、戦争などで無理しなければならない。 アメリカ人に靴を投げつけたりする、古代の計画から取材した冗談絡みがあったようであるが、すっかり、机の上に靴穿きの足を上げられてふんぞり返られている。
 「雪山富士山」 の世界一挑戦の達成があるとすれば、室町時代の能狂言までと言うことができるのかもしれない。