八幡赤ちゃんは六千人もいたのだぞ、と教えてくれる人がいた。

 現地M市では、西和賀町運動に反対していて、その出身者を踏んまえていた所であったようだ。
 武名面目を施して、M市は勲章ものだと東京から訪れるスター達の間でも評判が高かったという。
 学生に気を付けていても、教授、職員となると本当は見極めは難しい世の中なのかもしれない。
 その流れで、将軍様からも拝命のあった上の家の者も、予め目の敵にされていたのかもしれない。 しかし、そのM市の街路を、無用な地下ながらも度々歩かせてもらっているようである。
 何にせよ、このように日本国中上から応対してしまった地下活動が止むはずもなく、その分上記チルドレン達が発展することに役立っていたものと思われる。
 進学校でも、その伝の支援で地下の経営が行われていたのであるそうであるが、この頃は別経営の地下になっているようだという情報がある。
 外国人団に乗っ取られてしまったのであろうか。
 今や、西和賀町運動というよりも、外国人運動が目を覆うような夥しい日本国土である。
 国民よ、上の家の者などにボヤくようなひ弱なことはやめて、自ら明るく強くなろうではないか。
 上の家の者の手出しなぞ一つもない迷惑失礼なのである。
 山の如くに、実際に人身の害と強盗が盛り上げられつつあって、とぼけられようとしているのである。