上述と関連して、日本の古代史を断定してみる。

 箸墓古墳に関して、日本の記紀にあることは語呂合わせ無根拠の創作話である。
 そればかりでなく、その創作に何らかの悪意を感ぜざるを得ない。
 とにかく記紀時代には、箸墓古墳の真実についての言い伝えが一切失せていた事が知れるのである。
 箸とは何の関係もない地名であったことは間違いない。
 このような創作神話を被らされることは、その国の国民にとって迷惑な事ではないか。
 ここに呪が介入したと、遥かな時代の事を断定したい。

 ついでにもう一つの大仕事の推理がある。
 神話は日向を出発地としている。 神話地名は九州でタブっているが、決して三つも四つもあるものではない。 二つと決まっている。 南九州を方角封じの手として押し付けたものと推理してみたらどうであろうか。 呪の一つがここにも介入していたのである。 地名だけの仕事ではなかった。 大和以後、地名の土地宮崎に多くの古墳が築造されている。 
 国家神話は呪で創作されたものと断じられようか。 国家建築期にこそは、ここを先途と、力の籠もった介入が必ずやあるべき、世界史設計背景が存在していたのである。
 そういう一時代があったと想像すべきであろう。