早くから、三入国で日本の歴史が企画されていたと思われる節がある。

 岩手は以前日本のチベットと呼ばれていたが、自分 「相当官」 県としては、岩手県をフル所があったらしい。
 群馬、長野、栃木辺りの内国、高地国ならふさわしい、という選択があったらしい。 そして東京ど真ん中か。
 台湾を逆にすると岩手県や東北北部の輪郭地図に似て見えてきて、軍艦島誹謗したことがあったがこれは失礼な早とちりであった。
 近代史発端に、激しい民族主義が潜んでいたものとは考えられない。
 三のもう一つは、赤きポスト周辺。 康熙遺伝子。 赤ちゃんポストという連想作戦もあったのではなかろうか。
 岩手県の偉人にまた湯田沢内人に、置き換え例がいくつかあったのではないかと、勘繰り探偵しているのであるが、ナホトカ発の用意ではなかったのであろう。
 上の家の姉の夫なる人もその一例なのかもしれない。
 隣家の場合も、お父さんの方は、ペルシャ的で花巻の詩人に似ているのであるが、奥さんの方も合わせたように西域、チベット方面の人と決まっているのかもしれない。
 男の中の男、高岩健さんも先ず、チベット方面から駆けつけてきた人と読んでいるのであるが、ペアとして並べられていた田中有子さんも同列の人と考えると、合わせたように双方ルーツの決着がつくのである。 しかし元々当地の S さん方というのも、西域に近い所から出発した人達であった。