湯田町仁左衛門の家についてあらまし

 東北地方を二分け様に分ける長大な奥羽山脈を抜ける、唯一の里道であり、藤原時代の金の道という重要な街道の峠道の入り口にあって、護摩壇を構えた修験道家であったと思われる。 峠の反対側にも同じ修験道の旧家があって、今もその内陣を残していて国の文化財となっている。 五千円札の新渡戸稲造の先祖が遂に赤子一人の命までに追い詰められた時、母の実家の山際のこの家に身を隠し、かろうじて自らの古い流れを保ち、後の子孫の繁栄の元となったという伝え話が郷土史に載っていた。
 仁左衛門の家のそばにも、今は廃社となった神社の石段と杉の大木が残っている。 
 「樅の木は残った」 ではないが、先述した薬師神社の近くの農家の庭先に、岩手県で最大日本でも五、六番に位すると記されている樅の木があって、その子孫木でもあろうか、やはり大木の樅の木がその神社址の石段の傍らに立っていて、遠くからでも、その盛んな枝葉の群をそれと見て取ることができる。 認定はないが、この木でも湯田沢内北上地域では次位の巨木に相当しているはずである。
  樅の木の北限を超えた土地に全国ナンバーの一もとが立つ。 同窓の旧家の庭先にそれぞれ記念として手植えされたものだという。
   仙人峠を下って最初の神社の石段傍らに立つ樅の木とそっくりの東山町の樅の木の写真。 (岩手日報社 岩手の名木巨木 から)
 仁左衛門の家については、家屋敷取替え及び地域の分家との抗争等多くのエピソードがあるが、機会あれば後日記し、ご報告申し上げたい。