「刺客とやな」 という疑惑は否定されるであろうか。

 清朝派遣の刺客であったという事実はなかったと思われる。
 その一大事の根底、魂が明らかに伝えられてない。
 子孫数の行く方身過ぎのあり方も組織の思惑内にあるばかりであった。
 組織は各地域で山上り作戦を命じたのかもしれない。 拳法の地崇山を目指す、という趣旨を通したかったのであろう。 しかしこれは、 「倭虜(ワップ)、倭虜(ワップ)」 と歌でも歌うように乗り込んで来た、隠密剣士疑惑の人の経歴ではなかったのである。 ワッ(倭)、ワッ(倭) じゃだめ、沈んじゃう、ワープ(倭虜)、ワープ(倭虜)と唸るようでないとだめだな。 という名曲作りの内幕を暴くような小話があった。 ボタン、ボタン、麒麟、という見立てであろうか。
 とにかく、自らに、ゆるがせにできない特定の使命というようなものを隠し持ち、自覚していた人達であるとは考えられない。
 上の家の者の生活も担当されていたようで、弟を丸抱えにして偽言勝負に掛けた事があったそうであるが、基礎はある、という構えは丈夫な戸棚作りであった、と振り返ることができる。 なくしてしまう、という勝負はなかった。 後には、やられてしまうじゃないか、という感慨のようなものがあったようである。 
 刺客の至上命題などというものは構えていなかった、と結論されるようである。
 東大地球物理学の先生が書かれた百円の本。 何百冊もの著作があるのであろうが、このような小体な本との共通点あるばかりに、100年前からの登場が頼まれていた、ということになるのであろうか。
  
  
  
 前回の記事に対して極めて率直に速やかな公明正大なご反応があった。 だから何なのだ、というさっぱりとしたご質問なのであろうか。 昨日の朝日新聞二面大の特大広告を写させていただいた。 悪口評判のようなものだけでは、確かに世の中の本当のけじめはつかないのである。