九州辺りでは住み分けといって、離島を住所地に選ぶ例が多かったようである。

 コピー係りの者の経歴に大島与論島土工手伝いというのがあるのであるが、ここにも関係者はおられたようで、お世話になったのが後の大スター歌手城沢けんじさんではなかったか考えている。
 この特に潜んだような住み分けというものは、自分達が自主的に企んだ作戦手というものであろうか。 与論島で聞かされた歌があった。 つっ、つっ、月夜だ皆出ておいで。 何かに対して決まって悪意に出る、という話ではないようである。 意味不明瞭に先祖のうたい文句が伝えられていた、ということもあるのかもしれない。 しかし、今更 「倭虜、倭虜」 精神で暮らしておられる方がいるとは思われない。 山上りお仕着せ作戦はご免被りたいという遠慮深い、賢明な住所地の選択なのかもしれない。
 組織一流の語呂からいうと、密使の疑いはミッシングの人生航路のアイディアにつながる。 「ちょいと」 人生かくれんぼ。 そして海より深い再会。 海が割れるのよ、家族の願い、ふたたびの。
 それもこれも組織の疑惑と思惑の押し付けに過ぎない、と断言できるのではなかろうか。
 本人の気持ちはとにかく、計画の要にも、来世にはアジアの潮流が日本に押し寄せるはずなのであるから。