ボートに乗り込んだ七人の侍達のそれぞれの特徴。

 眼鏡顔、袖珍本顔、武将本家顔、わん顔、そしてだんご顔と夕顔。
 団子顔と夕顔というものは上の家の古い写真に見掛ける事がある。 東北でなければよくある顔形であるが、このことを原因と考えれば、入国は明治30年以降のことと推定される。 また、特に写真顔である、とある組織一派が見咎め嫌ったために用意された、隠密剣士の登場ではなかったかという推理も成り立ってくる。 
 清朝自らは、後の世のアジアの潮流計画を頼んでいなかった。 ましてや、独り秘密裏に密使を用意し、組織の運びをあからさまに襲ってまでも、自分の企みを通そうなどとはしなかった。 とまで言えよう。