南部藩のお定めではあったが、第一の分家の西の家の者はこれを許すことはできなかった。

 本家は栗木台というところに移ったのであるが、分家が二軒その他が部落にそのまま残っている。
 藩としては、水田地として限界のある土地柄、まあまあ応分納得の取引であろう、と本気に考えていたものと推理される。
 しかし坊主頭の若者は我慢ができず、あぜ道をまっしぐらに駆け込んでくるようであったらしい。
 「ラン」 でなく、 「ラウンド」 と手を回しながら、英語で若者に声をかけたその時の様子がメモに残されているようである。
 本家の者は、移住先で、藩のする事であるからとさっぱりと諦めていたのかもしれない。
 当然の事のように、若者に向かって自分ことをだんな様と呼べ、と言ったから若者は怒り狂ったのであろう。
 壇的なものを見て、動悸がする、というのはここに原点があったのである。
 若者は怒り狂って、動悸がしてならなかったのであろう。 「動悸がする、動悸がする」 と自分で口にしたことがあったものと想像される。
 相手はこれを見よと言わんばかり背高男、こちらは構えても富士山の裾野のような角度で見上げるばかりの背の低さ。 岩手山の袂の鞍掛山みたいなものである。